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プロフィール④第一章

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連載小説を試みています(^^)。
まず、プロフィール詳細の「はじめに」からご覧ください m( _ _ )m。





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       第一章


 それは、蝉が激しく泣き叫ぶ早朝から始まった。

「やっぁー」

まわし姿の男衆が威勢よく山を担いて走り出した。

博多山笠の追い山が始まったのだ。

山笠では、神輿を担ぐ事を、山をかくと呼んでいた。


 会場となる櫛田神社には、数千人の観客とテレビカメラが6台程セットされており、夜明け前の朝曇りの中を人の熱気で包み込んでいた。
各局のアナウンサーが実況中継を続ける様子が、更に奮起を醸し出しているようだった。

 昌樹は、今年初参加で一番山の恵比須流から参加していた。

山笠の先輩達からは「運が良いね」と羨ましがられた。
一番山は、7年に一度しか回ってこない檜舞台のような貴重な一年だからだ。


 昌樹には、6歳年下の妻、洋子と小学校4年生の長女里実、1歳になったばかりの次女亜佐美がいた。

 この博多山笠には、昌樹の上司の門川と田中、同僚の小松と細見の計男5人で、会社行事の一環として参加していた。

 門川は、58歳になるが、高校時代は野球部に属し、がっしりとした体格で年齢を感じさせない風格があった。声も太く大きい。
山笠には、今回で3回目となった。昌樹に対しては、同郷でもあり、昌樹の人柄や仕事ぶりも気に入り、かわいがった。

 田中は、山笠に参加するのは、5回目で昌樹達の中ではベテランであり、山笠を会社行事とした立役者でもあった。
歳は、昌樹の3歳上で剣道は、なかなかの腕前を持っていたし、腕力もあった。兄貴的存在だが、仕事では少し頼りない一面もあった。

 役職や人事とは、難しいものであり、門川と田中は、建前で寄り添うもののお互いを批判し合う処があった。感性が相容れなかった。

 門川は、関西を取り仕切る常務であるが、福岡を管轄していない。

福岡支店は、田中が長として取り仕切っていた。

然し、門川は、福岡支店に席を置いていた。

関西では、まだ知名度が低く、開拓が進んでいないため、仕事をするのに福岡で十分であったし、福岡の前支店長で開拓を推し進めたのは、門川であったのだ。

お互い誇るものがあれば、ある程いがみ合った。

 門川にとっては、口出ししない様に心掛けてはいるが、ややせっかちなところがあり、仕事を進める上でどうしても田中の仕事に手をつけてしまう癖があった。

 小松は、42歳と昌樹と歳こそ同じだが、昌樹を会社に呼び入れた存在でもあり、旧友でもあり、今は、先輩でもある。

会社では、稼ぎ頭の監理技術者でもあり、課長職で会社から重宝されている存在であった。

昌樹とは大学は同じだが、昌樹が、一つ先輩にあたった。

お互い26歳から4年間、設計事務所に主任として従事し、切磋琢磨した事がある。

12後にまた縁あって、同僚となった訳だ。お互いに、先輩後輩という意識はなかったが、周りの目を気にし、お互い気遣った。

二人の時は、

「甲斐君」

「小松っちゃん」と呼び合っていた。

 細見は、31歳と若くスラリとした男前の風貌で、工事の腕には自信を持っていたし、福岡支店の中でも施工技術では、先輩後輩関係なく主張し噛みつくところがあった。

監理技術者としては、まだ経験が浅く小松からは、厳しく指導されることが度々あるが、めげないところは昌樹も見習うところがある。

また、祭りなど社交の場には、一切興味を示さなかったし、山笠にも会社の行事ということで、渋々仕事として割り切っているところがあった。



 山笠にも組織があり、先輩後輩の組織もある。

経験者が指導することで、事故を防ぐ目的がある。

そんな中、山笠の行事は、年間を通して準備は行われるのだが、7月1日は「注連下ろし」と言って流れ区域を清めるところから、本格的に始まり、7月15日の追い山で幕を下ろす。

平日は、仕事が終わってから寄り合いに参加し、土日祝日に各行事が進められた。

 山笠の特徴は、総重量1トンを超えるかき山を、26名のかき手でかき出され、約5kmを速度を落とすことなく交代で走りぬき、7流れでタイムを競うのだ。

7流れは、恵比須流、土居流、大黒流、東流、中洲流、西流、千代流で構成されている。

 日頃運動していなかった昌樹達5人は、とにかく約5kmを完走し、かき山を一度でもかければ良いぐらいのレベルであった。

そんなレベルの昌樹達であったが、昌樹は三度山をかくことが出来た。大満足だった。

そんな昌樹達の姿を妻の洋子は、子供たちを連れて早朝5時から見に来てくれていた。

山笠の男衆は、深夜1時に集合して準備に取り掛かる。


 昌樹は、「1歳の子供を連れてくる等、人ごみの中、大変だろう」「早朝から見に来るだろうか」と半信半疑で家を後にしていた。

 昌樹は、祭りでは洋子等を見つけ出すことは出来なかったが、「パパの姿見れたよ。結構馴染んでて、普通に見れたよ。」と洋子は、携帯メールで書き起きしていた。お腹の肉の出具合を観察していた様子であった。

 昌樹にとっては、見に来てくれていたことがうれしかった。

 長女の里実は、「パパが、祭りに参加している姿を見たい」

「山笠という祭りをみたい」そんな気持ちを持っていたらしい。前日から、博多山笠を見学に行って当然、当たり前のように洋子に話し、率先して家族を連れだしたようだ。

 日頃から、腰が重かった洋子は、生まれも育ちも福岡だったが、過去一度しか博多山笠をみたことがなかった。


「来年も見に行ってやってもよかよ、楽しかったよ」と洋子は携帯メールで昌樹に伝言していた。


  昌樹は、祭りの後、打ち上げでお酒も入り、電車の中で気持ち良く安堵して帰りについた。

本当に充実した夏を迎えたつもりでいた。


これから、大変な事になるとは、生活が一変してしまうとは誰も予想だにしていなかっただろう。



 ようやく一仕事の祭りが終わると日常の仕事が待っていた。

昌樹が勤務する会社は、制御盤や制御システムを製作する仕事を主とし、電気工事を含めて請負うことで業を成していた。

昌樹は、その電気工事の施工管理を主とし、監理技術者として勤務していた。入社して7カ月が過ぎようとしていた頃である。

 11月から現場代理人として新たな工事の準備に入っているところであった為、7月の博多山笠に参加することに問題はなかった。

その他の仕事といえば、電気制御システム工業会という財団法人の同業者の集まりに参加し、九州支部総務部会のメンバーとして活動も行っていた。

 その工業会では、年末の忘年会という名目の親睦会を、11月末に2日間の日程で鹿児島にて開く予定であったが、その企画の幹事も任されていた。

九州支部には、30社ほど会員になっており、親睦会も30~40人の会社幹部クラスが集まることになっていた。

出来るだけ記念に残り、人が集まる企画をしようと総務部会では早めの行動をとっていた。


第二章につづく



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