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病と闘うのではなく、自分自身と向き合い、生きる。ALS患者・藤元健二さんから教わったこと

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(Yahoo!ニュース・06/21)

6月21日は、世界ALSデー。文字通り、世界中で難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の啓発活動が行われる日だ。

私は以前、ALSにおける疾患啓発について書いたが、今回は疾患そのものではなく、ある患者さんにフォーカスしたいと思う。

去る3月31日、ALS患者の藤元健二さんが亡くなった。3月25日には初の著作『閉じ込められた僕』を上梓しており、出版記念パーティーを目前に控えた矢先のことだった。

48歳のときに不自然な手の震えを感じ、その後確実に体の自由は奪われていき、50歳で確定診断が出て、胃ろうの造設、気管切開をすることで生きることを選択したが、53歳で胃がん、心筋梗塞を併発し、54歳で亡くなった。

一行で表現するとこういう紹介になるが、あまりにも味気なく、藤元さんの人となりをこれっぽっちも伝えることができない。いかに壮絶な最期だったかを描き、ALSという病気の難しさ、患者や家族の苦悩や公的サポートの重要性を伝え、疾患啓発につなげることが「北風」形式だとすれば、これから書くことは「太陽」とまではいかないまでも、頬を撫でる「そよ風」のようなものでありたいと思う。

伝えたいのは、ALSの恐ろしさではなく、ひとりの患者の生き方。手放しに称賛するわけではない、でもそれでいて、心から敬意を表したい生き方についてである。

■ 藤元健二さんと出会い、受け取ったもの

藤元さんとは、冒頭で触れた記事を通して知り合った。取り留めのない記事ではあったが、それでも藤元さんは「とても丁寧な文章で繊細ささえ感じます。事実を大局的に、多面的、複眼的に捉えられていて、そこから単なる批判、批評で終わらない素晴らしさがあると思います」というコメントをいただいた。

ALSの患者さんに読んでもらい、かつお褒めの言葉をいただいたことは、純粋に嬉しかったし、さらにはFacebookでメッセージ付きの友達申請までいただき、ありがたい限りだった。

あまりにも普通にメッセージが届くので当時は意識していなかったが、著作に書かれている時期と照らし合わせてみると、このときはすでに指先は動かなくなっており、視線入力装置を用いていたであろうことがわかり、改めてありがたみを感じた。

それからしばらくは、お互いの投稿に頻繁にいいねし合っていたが、時間の経過とともに彼の投稿、いいねの頻度は減り、ポジティブでユーモアに溢れる投稿が悲痛な叫びに変わり、私は胸が苦しくなることが多くなっていった。

ここでひとつ、彼の人となりを表す一節を紹介しよう。

元の記事を読む

【さらっと生きよう

みなさんお気づきですか?
平成二六年のデータによると、日本人の死因上位三位は、
第一位 がん
第二位 心臓疾患
第三位 肺炎
だそうです。
この三つに同時に罹患するなんて、すごいと思いますし、ましてや平均余命五年以内のALS患者なわけです。
さらっと生きようと思います。
それがカッコいいと思いますので。】

出典『:閉じ込められた僕』P182


これは、意識を失い緊急搬送され、ALSだけでなく複数の病気を罹患していることがわかった約1カ月後の投稿だ。残酷な運命という言葉が生温く感じられるような凄惨な事態だが、他人事のようにさらっと書いている。

私でさえ、なぜこんなひどい目に遭わなければいけないのかと心から同情し、悔しい思いをしたのに、どうしてこんなことが言えるのか。いや、あえて強がり、平静を装っているのかもしれない。実際に、この後はカッコつけてなどいられなくなっている。

そうか、藤元さんは病と闘っているのではなく、自分自身と向き合っているのか。ALSによって動かなくなる体とクリアなままの頭が、否が応にもそうさせるのだとしても、強いとか弱いとか、すごいとか偉いとか、そういうことではなく、藤元さんの生き方の表れなのだと思い当たった。

そうして私は、極めて稀なケースではあるが、難病だから、がん患者だから、という枠組みに当てはめて考えず、あくまでひとりの人間の生き様として見守りたいと思った。

これが、ALSという病気をセンセーショナルに書くことはやめようと決めた背景である。

■ 絶望的な状況における夢と希望

胃ろう造設、気管切開、TLS(Totally Locked-in State:完全閉じ込め状態)…ALSという難病を難病たらしめる、物々しく象徴的な言葉は数多くある。だが、病気の進行をステージで切ってしまうと、ALSを知らない人に対して絶望感を端的に伝えることはできるが、その代わり日々の細やかな悩みや障害、病状とは直接関係しない部分での問題が端折られてしまう。

基本的にはプライベートがなく、食事や入浴、排泄などはもとより、体の位置を変える、痒いところを掻く、虫を手で払うなど、普段は意識すらしないような所作さえも、他者の力を借りるしかない状況ではどんな気持ちになるのか。

自暴自棄にすらなれないのがALSの辛いところで、泣き叫んだり、物に当たったり、酒をあおったり、現実逃避の旅に出たりすることもできないのであれば、患者のストレス発散や日常における小さな幸せとは何なのか。治療やメンタルケア以外でもQOLを高めるためにできることはないだろうか、なかなかそういったことまで想像が及ばない。

平均余命が2年~5年というと、それだけしか生きられないのかと絶望するが、一方で条件が揃えば長く生きることも可能な病気でもあり、むしろそれをどう実現するか、日々をどう過ごすのか、という部分が非常に大事になってくる。

防げない病気である以上、患者本人には責任はないし、動けなくなろうが、ご飯が食べれなくなろうが、声を失おうが、生きたいと思う権利がある。そして、必ずしも十分とは言えないかもしれないが、医療従事者や介護者、各種制度・保険はその意思を尊重するべく存在している。

ただ、やはり理屈では片付けられない問題がある。家族による介護だ。親が認知症になったときは子どもが面倒を見るべきだ、夫の介護は妻がしないで誰がするのか、こういった論調は根強いし、事実そうせざるをえない状況がある。

そこで藤元さんは、家族の負担の大きさや、奥様の介護離職のリスクを鑑みて「24時間他人介護」という目標を掲げたのである。これには、非常に大きな意味がある。家族が介護しないなんて…という後ろめたさだけでどうにかできるレベルの問題ではないし、家族にも人生がある。そこを損なえば、QOLも何もあったものではない。目指すところは延命ではなく、あくまでより良い人生を過ごすことなのだ。

夢や希望というと、少し違うものをイメージするかもしれないが、ALSと共に生きる方法を考え、実践していくことには希望がある。そうでなければ、絶望と恐怖に絡め取られてしまうだろう。病気が治ることを期待し続けることも、死を受け入れることもしない選択があり、そこに自ら向かえる患者力のようなものを垣間見た気がした。

今後、アイス・バケツ・チャレンジのような一大ムーブメントは起きないかもしれないし、難病はALSだけではない、結局理解は深まっていないとたしなめられるかもしれない。あるいは、予防も治療もできない以上どうしようもないんだから、知っても仕方ないじゃないか、ALSの患者さんを見ても辛くなるだけだよ、そんな風に思う方もいるかもしれない。

でも、それでも、ひとりのALS患者がどのように生きたのか、伝えたかったのだ。自分自身と向き合い、生きていくことは、誰にとっても他人事ではないはずから。

ぜひ、エッセイを読む感覚で『閉じ込められた僕』を手に取ってもらえればと思う。

■ 最後に

藤元さんへ

前向きの理由

前向きですねと
言われると
違和感がある
前以外に
どこを向くんだろう

出典:『閉じ込められた僕』P76
この一節がとても好きです。まさにその通りだと思うんですよね。

お会いすることは叶いませんでしたが、Facebookの投稿や著作を通して、多くのことを受け取ることができました。本当にありがとうございます。

相も変わらず取り留めのない文章ですが、藤元健二さんとご家族に捧げます。

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