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起業して躓いた躁うつ病37歳男性が語る悔恨

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(Yahoo!ニュース「東洋経済ONLINE」・09/07)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は千葉県在住で、アルバイトで生計を立てるヨシマサさん(37歳)のケースに迫る。彼は記事(高学歴56歳男性が「孤独な貧困」に陥った顛末)を読み、「双極性障害に対して偏った解釈をしてほしくない」と、編集部にメールをくれた。


■つらいのはうつ、怖いのは躁

 「自分では躁の兆候に気づけなくて」

 「私は躁になると“過集中”してしまうので、躁に走りそうになったら、タイマーをセットして、仕事でも趣味でも1時間以上集中しないようにしています」

 「タイマーですか。それ、いい方法ですね!」

 「高校生の息子が不登校になりまして。僕の病気が遺伝したんじゃないかと……」

 「いわゆる遺伝病ではありませんから。そう心配しないで、まずは病院に行かれたらどうですか」

 双極性障害を抱える千葉在住のヨシマサさん(37歳、仮名)。患者たちが集まる当事者会に毎月参加し、時に励まし合い、時に愚痴をこぼし合い、時に情報を交換し合うという。

 「同じ障害の人がいるとわかるだけで心強い。症状はさまざまなのですが、僕たちの間ではよく“つらいのはうつ、怖いのは躁”と言います。躁は気力と体力の前借りのようなもので、必ずその後に来るうつでツケを払わされます。いったん躁状態になってしまうと自力ではなかなか抜け出せない。この病気と付き合っていくコツのひとつは、医師や家族の協力を得ながら、躁をいかに食い止め、軽く抑えるかにかかっています」

 双極性障害と診断されてから4年。取材で会ったヨシマサさんは如才なく、物腰も落ち着いて見えた。実際にはこの間、起業に失敗して離婚を経験。現在はアルバイトなどをしては、数カ月でうつ状態になって辞めるという繰り返しで、年収は50万円に届かない。両親と同居し、何とか生活しているという。

 高校卒業後、希望していた地方の国立大学に進学、千葉の実家を離れた。その後、アルバイト先や学校、会社で人間関係をこじらせてはうつ状態に陥った。きっかけは教授の高圧的な態度や上司の理不尽な言動だったが、それらは大人ならば誰もが経験するたぐいの出来事に見えたし、そのことはヨシマサさんもわかっている。そのうえで、気持ちを切り替え、忘れることが、自分にはできないのだ、と彼は言う。


 20代前半でうつ病と診断。一方で、正社員として就職し、病気を受け入れてくれる女性と結婚もし、大学のある地方都市で暮らし続けた。このときは通院と服薬により、うつ病とうまく付き合っていけると思っていたという。

■アイデアが次々に浮かんでくる! 

 歯車が狂い始めたきっかけは、ヨシマサさんが突然、起業すると言い出したことだ。夫婦共に30代に入り、そろそろ子どもをつくろうと、不妊治療を始めた矢先のことでもあり、妻からも、義父母からも猛反対された。にもかかわらず、勝手に会社を退職。妻には「今日、会社を辞めてきた」と事後報告した。彼は当時の心境をこう振り返る。

 「いろいろなアイデアが次々に浮かんでくるんです。絶好調で活力に満ちた姿。それが本当の自分だと信じていました。“妻も彼女の両親も何でわかってくれないんだ”“周りはバカばっかりだ”。そんな考えが態度ににじみ出ていたと思います。今思うと、これが初めての躁状態だったんです」

 口論になった妻から、子づくりを先延ばしにしてきたのはヨシマサさんの病気が原因でもあったと責められ、「(自分のうつ状態を支えてくれたのは)あなたが酔狂なだけ。好きでやったことでしょう」と言い返してしまった。

 ヨシマサさんは「その場の空気が凍りついた気がしました。うつのときも共働きで支えてくれた彼女になんてことを言ってしまったのか。今は後悔しかありません」とうなだれる。

 会社は立ち上げたが、直後にひどいうつ状態に入り、1年で廃業。起業資金約100万円を失った。双極性障害と診断されたのはこの頃。そして、家庭では、念願の子どもが生まれたが、その直後に妻から離婚を切り出された。

 「ある日、突然、離婚したいと言われたんです。理由を尋ねると、“朝一番で子どもの顔を見にいかなかったからだ”と言われました。うつのときはとにかく自分のことでいっぱい、いっぱいで……。確かに朝起きて子どもの顔を見る前にトイレに行ったことがありました。でも、離婚の理由はそれだけじゃない。彼女が我慢に我慢を重ねて出した結論だとわかっていました」

 離婚を望まないヨシマサさんに対し、妻の意思は固かった。養育費などの代わりに、彼の両親の援助で買ったマンションを渡すことで合意。子どものそばにいるために、しばらくは近くにアパートを借りて暮らしたが、体調は戻らず、アルバイトをしたり、しなかったりの収入で、すぐに蓄えは底をついた。やむなく千葉の実家へ戻ることを決めたという。

 その後の半年間はほぼ寝たきり状態。映画1本でさえ最後まで見る気力が湧かず、本を開いても1ページも読むとどっと疲れた。この間、過食により体重は20キログラム近く増えた。

 この頃、医療機関で精密検査を受けた。すると、自身の障害は、頭部外傷や脳出血など脳への損傷によって引き起こされる器質性精神障害によるものだと判明。ヨシマサさんは「ずっと、周囲とうまくいかない自分も悪いと思ってきましたが、今は自分の脳にはもともと問題があったんだとわかり、少し気が楽になりました」と言う。

■今はこれでいい

 障害の原因を正しく理解できたからか、体調は少しずつ回復。自分に合った当事者会も見つけ、高校時代に打ち込んだ卓球を再開した。仕事はパソコン入力などを中心に数カ月ごとに転職を繰り返しているが、ヨシマサさんに言わせると、今はこれでいいのだという。「採用面接で病気のことは正直に話します。そしてストレスを感じたら早めにギブアップ。そうすると、うつが軽いうえに、短くて済むんです。今の職場で、初めてストレスの原因を上司に打ち明けたところ、理解をしてもらえ、働き続けることができています。間もなく半年。記録更新中です」。ゆっくりだが、着実に前に進んでいる実感がある。

 一方、当事者になってみて、双極性障害は知的・身体障害や自閉症、発達障害などに比べて「置き去りにされている」と感じることがあるという。

 「当事者会でも、日本のテレビのチャリティ番組で双極性障害が取り上げられたことって、見たことないねと、よく話題になります。ドラマの主人公になることもほとんどない。この障害を美しく描くのは難しいですから」

 双極性障害の躁状態は、人によっては浪費や、不特定多数と性交渉を持つなどの「性的逸脱」といった形で現れる。ヨシマサさんが起業に走って家族を失ったように、それらは、時に身近な人間との絆を修復不可能なまでに破壊するのだ。

 障害年金の申請も、躁状態で年金事務所を訪れようものなら、「元気ですね」など言われて門前払いされることも少なくない。状態が比較的固定しているとされる知的・身体障害に比べ、その後に壮絶なうつ状態に転じる双極性障害の実態はなかなか理解してもらえないという。

 障害年金をめぐっては、ヨシマサさんは現在、障害基礎年金の申請中だ。しかし、手続きを進める中で、障害厚生年金は3級から受給できるのに対し、障害基礎年金はそれよりも状態が重い2級か1級でなければ受給できないことを知った。万が一、3級と判定されれば、年金を受け取ることはできない。

 社会の関心の低さや理不尽な制度の下、再び独り立ちできるのかとの不安も尽きない。

 以前、障害者総合支援法に定められ、補助金を受けた企業などが運営する「就労継続支援A型事業所」で働いたときも、給与は最低賃金水準で、障害者の自立というよりも、安価な下請け業者として利用されている印象を受けた。一般企業の採用においても、知的・身体障害者に比べて安定就労が難しい精神障害者は敬遠されがちで、当事者会のあるメンバーは100社以上応募しても、非正規雇用の仕事しかないと嘆いていたという。

 「いったん双極性障害になると、自立して家庭を持ちたくても現実には難しい。僕には受け入れてくれる両親がいたので貧困に陥ることはありませんでしたが、そうでなければ、生活保護に行くしかなかったと思います」と、福祉制度や社会の仕組みの貧しさを指摘する。

■一瞬たりとも気は抜けない

 ヨシマサさんは自身の障害についてこんなふうに語る。「普通、病気は元気になったら喜びますよね。でも僕らはまず躁を疑います。調子がよくなっても、“やばいな”と思わなければいけないんです」。

 一瞬たりとも気を抜かず、自らの精神状態をうかがうようにして生きる。その過酷さは、私には想像できない。それでも、彼がいつか自立したいと願うのは、息子と両親のためだ。

 現在、3歳になる息子との面会は3カ月に1度。往復の交通費だけで数万円かかるので、両親の庇護の下で暮らしているからできる「ぜいたく」だとわかっているが、「僕のことを忘れてほしくない。だから、小さい頃はできるだけ会っておきたいんです」と言う。


 公園で弁当を食べたり、ホームで列車を眺めたり、デジカメで写真を撮り合ったり――。生後数カ月で別れたにもかかわらず、息子はヨシマサさんを見るとすぐに「お父さん」と呼んでくれる。彼は「別れた妻が普段から僕のことを“お父さん”と呼んで話をしてくれているからだと思います」と感謝する。

 幸せそうに息子の成長ぶりを話していたヨシマサさんが、両親の話になると一転して涙で言葉を詰まらせた。

 「精神的にボロボロの状態で、(地方から)千葉に戻りたいと電話したとき、父は“ここは君の家でもあるんだから、いつでも帰ってきていいんだよ”と言ってくれました。マンションを妻側に渡すことは、(費用を負担した)両親は反対していたのですが、実家に戻った僕が謝ると、父は“ああ、そんなのいいよ。気にすんな”と言っただけでした。母はどこで勉強してきたのか、双極性障害のことをよく知っていて、僕よりも敏感に躁の兆候に気づいて、注意をしてくれます。

 僕は一人っ子です。両親はたくさんおカネをかけてくれたのに、何一つ返せていない。いつか親孝行がしたいんです。そのために何度でも、何にでも挑戦したい」

 ヨシマサさんに話を聞いたのは、ファミリーレストラン。ランチ時のにぎわいの中、途切れ途切れの涙声が不思議と力強く聞こえた。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

藤田 和恵 :ジャーナリスト

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